縄文時代の遺跡

2013年01月02日

中世は揚北衆の一つ色部氏の所領であった。江戸時代になると、村上藩領、天領、庄内藩預所などを経て、宝暦3年(1753年)以降は廃藩置県まで米沢藩預所となった。明治22年(1889年)、粟島浦村が成立し、現在に至っている。 昭和39年(1964年)6月16日午後1時頃に、粟島沖を震源とするマグニチュード7.5の地震(新潟地震)が発生。島全体が約1メートルも隆起した。AION RMT
ラグナロクRMTこのため水稲栽培が難しくなり島を覆っていた水田はほとんど姿を消した。

『万葉集』の第12巻に、粟島を描いた詠み人知らずの歌が収録されている。

波の間(ま)ゆ雲居に見ゆる粟嶋の逢はぬものゆゑ吾(あ)に寄する児(こ)ら

越後守・威奈大村(?年 - 707年)が詠んだ歌とする説がある。縄文時代の遺跡


Posted by momoya at 14:18│Comments(0)
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。